''【永遠の愛を、あなたに】''

永遠の愛を、あなたに



 大聖堂での結婚式から、二週間が過ぎようとしていた。トロデーン城で披露宴が行われたあと、旅の仲間であった者たちはそれぞれの場所へと戻り、城の中はすっかり落ち着きを取り戻している。
 その中での一番大きな変化といえば、何を置いても、シェオルの待遇であろう。サザンビークの王が認めこの国の王も認めた今、彼は城の誰からも、王女の夫として扱われている。
 だが、身分こそ変わったものの、その職が王政に携わるものに移ることはなかった。本人の意思と、王と王女の許しもあって、彼は以前と変わらず近衛兵隊長の地位に就いている。正装し、王女の夫としてそばに立つのは、諸外国からの正式な賓客があったときのみだ。
 そしてもうひとつ変わったのは、寝起きする部屋。シェオルは近衛隊に割り当てられていた個室を出て、ミーティアの居室へと移った。王女の寝室は、そのまま『夫妻の寝室』となった。
 だがいまだに、ふたりの間には何もなかった。ただ同じ部屋で寝起きをしている、それだけだった。
 それは、結婚に迷いがあったシェオルを、ミーティアが待つことにしたからだ。彼の心が定まるまで待つ、と彼女は言った。そしてふたりで話し合って、関係の取り決めをした。

 日々を過ごしながら、シェオルはある事を考えていた。
 王女夫妻の指には、未だ結婚指輪がない。何も言わないが、トロデ王は結婚した娘夫婦が指輪をしていないことを気にしているらしい…とは、城の者たちの談だ。
 そもそも、彼らの結婚は急なことだった。トロデーン側からチャゴスへ贈るものとして指輪は用意されていたのだが、それをそのまま直して使うことは王女が頑として許さず、すでに民間に払い下げられている。そしていまだに、工房への発注がなされていない。ミーティアに何か考えがあるようで、保留にされているらしいのだ。
 だが、いつまでもこのままではいられないだろう。
 そして、自分のほうも。
 シェオルには、近衛隊長としての給与以外に個人的な財はない。自由に使える金額は、民間人に比べれば多いだろうが、王女に結婚指輪を贈れるほどには持ち合わせてはいないのだ。
 大聖堂を去り際、サザンビーク王から支度金の申し出があったのだが、シェオルは迷った末に断っていた。あれを素直に受けておくべきだったのかもしれない、と今さらながらに思う。こういった問題が浮上するとは、あの時は考えてもいなかったのだ。

 自分が彼女に贈れるものとして、何があるだろうか。
 考えながら、シェオルは手の中の指輪を見つめた。
 アルゴンハートをあしらった、品のあるデザインの指輪。裏側に掘られた、サザンビーク語の銘。王子エルトリオからウィニアに贈られたことを示す言葉だ。父が母のために戦って勝ち得たものが、この指輪だった。
 これをミーティアに渡すことには何のためらいもない。両親の唯一の形見、という代物ではあるが、結婚指輪として贈っても、彼女がそれを拒むことはないだろう。
 だがそうしようという気にはなれなかった。これは、自分の力で勝ち取ったものではないからだ。
 他国の王家の者であることや竜神族の一員としての立場は割とどうでもよかったが、一人の男としては、なにか引っ掛かるものがある。
 どうしようか、と考えあぐねていると、執務室の扉を叩く音がきこえた。入室を促すと、扉が開いた。
「失礼します、隊長」
 言いながら入って来たのは、近衛隊の兵士だった。
「何かあった?」
「はい。サザンビークから、王家の使者の方がいらっしゃいました。ミーティア王女殿下が、隊長を…いえ、シェオル殿下を、お呼びです」
「…サザンビーク王家から?」

 サザンビーク王からの使者は、シェオルを王兄の息子として認めるという証書、そして正式な婚姻証書と共に、もう一通、書状を携えていた。それには、シェオルにある儀式を遂行するように、としたためてあった。
「儀式?」
「はい。殿下はその儀式をご存知であると、王からうかがっておりますが」
 言われ、シェオルは首をかしげる。
「僕が知っているサザンビーク王家の儀式といえば、ひとつしかありませんが」
「殿下のお考え通りでございましょう。クラビウス王陛下におかれましては、是非ともシェオル殿下に王家の山へ、との仰せでございます」
「……アルゴンリング、ですか」
 言えば使者は「さようでございます」とうなずいた。かつてのチャゴスと同じように、アルゴンハートを手に入れろということなのだろう。今度は、自分のために。
「サザンビーク王家ではここ何代も男性の継承者が名を連ねておりますゆえ、王子が妃に贈るもの、と捉えられがちなのですが、本来は、王家の人間が配偶者となる者に贈るために作られるものなのです。代々の王の中には女王も幾人かおられたのですが、どのおかたも例外なく、戦ってアルゴンハートを手にされております。そしてまた傍系の王族がたも然りです。この場合、直系から一代目の後継者まで、と限られてはおりますが」
 殿下はその一代目に当たられます、と説明が続く。
「本来、国外への持ち出しは厳禁とされている代物なのですが、今回は特別です。殿下とミーティア王女殿下のご結婚は、両国の友好の証でございますゆえ。ですので、殿下には是非とも、アルゴンハートを手に入れていただきたいのです」
「わかりました。行きます」
 わずかに迷うこともなくシェオルは即答する。それを見た使者は、慇懃に頷いた。彼の実力ならば、難なく成し得ることだろう。以前、チャゴスが挑んだ折に彼を含む一行が護衛としてついたことは知っていたし、大聖堂での一幕も、王家に追随した文官からきいて知っている。
 二日後、トロデ王とミーティアの承諾を得て準備を整えたシェオルは、使者を伴い、移動呪文でサザンビークへと飛んだ。




 城に着くとすぐに、クラビウス王の元へと通された。大聖堂でのこともあってか、チャゴスの姿は、その場には無かったが。
 特例ということで、儀式の場にはクラビウス王自らが同行することになった。指輪を他国の王家に出すということと、長年に渡り王家と縁を断っていた者が王家の者としてそれを遂行するため、という理由があってのことだった。
 そんなふうに理由をつけてみたものの、それは単なるこじつけにすぎなかった。何も王がついて行かずとも、ことは足りる。クラビウスには、シェオルの強さを直に見てみたいという思惑があった。
 かくして、サザンビーク王家の当代とその甥は、自国の秘地へと向かった。



 門番の一家に挨拶をして、門をくぐり、魔物のいる場所を目指して歩く。少し進んだところで、クラビウスが口を開いた。
「そなたを王家の一員と認めることについては、意外なほどに難儀しなかった。おそらく、そなたが式の場で力の一端を見せたことが、大きな要因ではあると思うが」
「その節は…陛下には、本当にご迷惑を」
「よい。責めたわけではない。それに、それはもう済んだ話だ」
 歩きながら、王の話は続く。
「重臣たちに先を見据えられる者たちが揃っていたことも、幸いした。あの場にはおらずとも、万が一そなたを後継者として担ぎ上げる輩が出た場合の危険性は、彼らもよくわかったようでな」
 言われ、シェオルは肩をすくめる。
 結婚式の前夜にこの王に掲示した自分のカードは、あの後すべてうまく切り返されていた。その結果として、いま自分はサザンビーク王家の者と認められこの場所に来ているのだが、一兵卒が百戦錬磨の大国の王に計略で挑んだことがどれほど無謀だったのか、シェオルは今更ながらに痛感している。
 そうこうするうちに、目的の場に着いた。
「ではそなたの真の力、見せてもらおう」
「御意」
 頷いて、シェオルは足元のジョロの実を担ぎ上げた。



 手順通りに誘き寄せれば、巨大なアルゴリザードが大きく咆哮して向かってきた。クラビウスが思わずひるむ中、平然と、シェオルが近づいていく。
 だが王は気づいた。彼の手には、得物がないことを。
 武器は、と声をかけようとしたそのとき、魔物が大きく牙を剥いた。あ、と思ったその瞬間、どうん、と酷く重い音が王の鼓膜を打った。
 身体の深部まで震わせたその音に、思わず目を閉じてしまう。そしてまたどうにか開け、何事か、とシェオルを見れば、彼の身体からすさまじいオーラが放たれていた。足元の草は波打ち、離れた場所の樹木さえ大きく震えている。
 クラビウスは身震いする。大聖堂の時とは比べものにならない。悪意の有無や魔力を感じ取る力の有無など関係なく、すべての者に畏怖を与える波動だ。目を開けていることすら難しいほどの圧力が、自分を取り巻く。耐え切れずに、王はまた目を瞑った。
(これが、竜神族の真の力か……!)
 数十秒後、波動が収まり視界が鮮明になったとき、そこにはシェオルに頭を垂れるアルゴリザードの姿があった。
「…一体、何が起こって……」
 王が疑問を口にする。シェオルは、リザードの頭に手を置き、静かに言った。
「戦う必要はありません。アルゴンハートを手に入れるのに彼らを倒す必要なんて、最初からないんです」
 言いながらシェオルは手を魔物の頭から外して、短く何事かを唱えた。
 アルゴリザードが上体を起こす。シェオルは、むき出しになった腹の、心臓と思われる部分に触れた。
 目を開けていられないほどのまばゆい光が放たれ、そのあとに、赤い宝玉がシェオルの手に乗っていた。大きさは、かつてチャゴスが闇商人から手に入れたそれよりも、ふたまわりほど大きかった。
 魔物は大きな音をたて、地面に崩れ落ちた。だが、胸が上下に動いている。死んだのではなく、ただ眠っているようだった。そして、その身体のどこにも外傷はなく、血も流れていない。
「これは……どういうことだ」
「アルゴリザードから手に入るアルゴンハートは、肉体から生み出されるものではありません。彼らの精神波動を具現化したものなんです。彼らはこの宝石を、強い苦痛を感じることによって、あるいは強い恭順を示すときに、生み出します」
「…何故そなたがそのようなことを知っておるのか、それは後で訊こう。攻撃をしていないということは、今のこれは、苦痛を味わった結果ではない…つまりそれは、このアルゴリザードが自らそなたに服従した、ということなのだな…?」
「そうです。僕が『彼』に、自分の強さを示した。だから彼は僕に従う意を見せてくれた。そしてこちらの方法で手に入れた石は、倒して奪いとったものより、純度が高いんです」
 見れば、今までに見たどのアルゴンハートよりも透明度が高いように思えた。表面が研磨されていないにも関わらず、向こう側がうっすら透けて見える。
 そして陛下が疑問に思われたことですが、と話は続く。
「いま申し上げたことは、僕自身が調べて得た知識ではありません。これを教えられたのは、母の…竜神の里で、でした」
「なにゆえ、竜神族がこのようなことを?」
 ここで彼らの名をきくとは思ってもみなかった王は、そう訊ねた。
「アルゴリザードは、竜神族の眷属なんだそうです」
「なんと」
「彼らは遥か昔…といっても千年くらい前ですが…罪を犯した咎で、この山に封じられた。そして、竜神族に監視されながら、罰を受けていたんです」
「罰?」
「サザンビークの王位継承の儀式で、狩られることです」
「なんじゃと…!」
 次々に明かされる真実に、クラビウスは驚きを隠せない。
 そして考えを巡らせば、この儀式は、ちょうどその時代から始まっていることを思い出す。
 罰を受けなければならない者と、宝玉を手にしたい者。それらがかち合ったのは、はたして偶然だったのか、それとも何ものかに仕組まれたことだったのか。
「ここにいるアルゴリザードたちは、繁殖の末に代々続いているのではなく、千年前からすべて同じ個体なんです。彼らの寿命は長い。たとえ数十年に一、二度のことでも、彼らには、あっと言う間に巡り来る苦痛です」
 その苦痛も想像を絶するほど凄まじい、だから罰として成り立つのだ、とシェオルは言う。
「そして竜神族は、何をするわけでもない。ごくまれに紛れ混む侵入者を、排除することもしない。ただ、サザンビーク王家の人間が正当な理由でここを訪れる時に、戦いの状況を監視する。それだけです」
「なんと…」
「母はこの山の、監視者の役割を担っていたそうです。二十数年前、そうしてここに来ていたときに、エルトリオと出逢った」
「そうであったのか……」
「はい。ウィニアの父…つまり僕の祖父が、そう言っていました」
 言ってシェオルは手の中の紅玉を見つめる。
「戦ってこれを奪えば、彼らは苦しみながら傷の回復を待たなければなりません。ですがこちらの方法でなら、痛みも苦しみもなく、眠ったまま回復できるのです」
 シェオルがあえてこちらの方法をとったということは、彼はリザードを苦しめるのを良しとしなかったということなのだろう。
「彼らがどんな罪を犯し、いつまで罰を受け続けなければならないかは、僕には分かりません。竜神族の掟のことには今の僕には口が出せないので、この儀式をやめさせることもできない。そしてそれはサザンビーク王家も同じことでしょう。あなたがたは、この石を手にするために、儀式をやめることはしない。決して」
 その言葉に一抹の非難を感じたが、クラビウスはあえて知らぬふりをした。これは、代々続いてきた王家のしきたりなのだ。たとえリザードを哀れと思っても、自分の一存でどうにかできるものでもない。
「なれば次の継承者に、このようにしてアルゴンハートを手にせよ、と教えればよいのではないのか?」
 クラビウスは提案する。倒して手に入れたものよりもずっと石のグレードが高いことは、一目瞭然だ。だがシェオルは首を振った。
「いえ、陛下。それはなりません」
「何ゆえだ。苦痛を与えずに宝玉を取り出すのは、竜神族でなければ出来ぬということか? あるいは、そなたほどの強さを持つ者が、我が王家にはこの先生まれぬという意味か」
「そうではありません。竜神族の血を引く僕ほどではないにしても、波動だけで他を圧倒する強さを持つ者が絶対に現われないとは限りません。…可能性としては、とても低いですが」
 種族の違いによる力の差は、どうあがいても埋められるものではない。
「そしてこの方法も、強さを示した上でなら人間でも可能です。ですがそれでも、この方法は許されることではないんです。先ほども申し上げましたが、これは彼らが受けなければならない罰だから」
「ではなにゆえ、私にこのことを教えた?」
 とってはならない方法など、知っていて何の意味があるというのか。いたずらに期待させるようなことを、なぜ教えた。険しい顔で王は問う。
 だが、シェオルは。
「知る権利があると思ったからです。エルトリオの弟であるあなたには」
 言われ、クラビウスははっとする。
「あなたの兄と、彼の愛した女が、どうやって出逢い、そしてどうやって死んだのか。陛下には…いえ、叔父上には、その背景を、知る権利があると思ったから」
「………シェオル」
 兄の死にざまについては、あの夜、大聖堂できいていた。そして、兄の愛した女がどのような最期を遂げたのかも。
 クラビウスは兄が失踪してからすぐに王太子として立ち、王位を継ぐ者としてあらためて教育を受け、そしてこの儀式にも挑んだ。王となって二十年足らずだが、いくつもの修羅場をくぐりぬけ、大国を守ってきた自負がある。
 つらさを他者にこぼすことは許されなかった。いつでも強くあるべき、弱みを見せてはならない、それが王というものだと教えられた。兄の代わりに背負った以上、自分は果たさねばならない。それが王たるものの責務だ。
 それでも、何かあるたびに思っていた。
 ここに兄がいてくれたなら、と。
 王位を還したいのではない。よこせと言われても、譲るつもりもない。だがそれでも、いて欲しいと思うことは何度もあった。そばにいてくれたなら、そばにいてくれるだけで、どれほど自分は心強かったことだろうと。
 戻ると言って戻らなかった兄。裏切られたとは思っていない。兄には兄の選んだものがあり、それが、王位のために国に留まるよりも重要なことだったというだけだ。
 兄は戻るつもりでいたのだろう、と思う。最終的に、果たされることはなかったが。
 思案していると、ふいにシェオルが言った。
「僕は、サザンビークにも竜神族にも受け入れられなかった半端者です。それなのに今は、どちらにも縛られている。この心も身体も、従いたいのはトロデーンだけなのに」
 幼い頃に記憶を封じられて母の里を出され、出自を打ち明けた父の弟には当初、認められないと言われた。今でこそどちらからも受け入れられてはいるが、そこに至るまでの経緯が簡単なものではなかったことから、シェオルはすっかりふたつの『家』の間に壁を立ててしまっている。
「縛られている、というのは難儀なことだが…しかし、どちらにも、ということは、竜神の里も受け入れたのであろう? 今のそなたを」
「…そうですね。それどころか、もっと厄介なものを背負うことになりました」
「厄介なもの? それは」
 なんだ、とクラビウスが問おうとしたそのとき、空の彼方から、何かが聴こえた。
 二人は空を見上げた。そこに、小さな二つの影が見えた。
 鳥だ。二羽の、大鷲。
「……あの鳥、は」
 いつか旅の途中で見た。そう、あれは確か、トロデーンを出てしばらくしてからだ。吊り橋から落ちたヤンガスを助け、トラペッタへと向かう道の途中だった。
 鳥など、どこにでも飛んでいる。彼らがあの時の鳥たちだとは限らない。だがシェオルにはどこか確信があった。彼らだ、と。
 二羽はまだ頭上を旋回している。時おり細く落とされる鳴き声が、どこか優しい響きで、シェオルの耳を通っていく。あのときと、同じように。
 まるで、見守ってくれているように。
 ……もしかしたら、彼らは。
 胸をよぎったその考えを、シェオルはすぐに否定した。そんなはずはない。そんなことは、いくらなんでも有り得ないだろう。
 眉根を寄せて空を見上げたままのシェオルに、クラビウスが怪訝に声をかける。
「シェオル? いかがした」
「……あ、…いえ。なんでも、ありません」
 空にいる鳥に何か思うところがあったのだろう、王はそう推測したが、深く問うことでもなさそうだった。「さようか」と答え、二人はその場を後にする。
 来た道を戻りながら、またクラビウスが問う。
「そなたが先ほど申した、厄介なこととは何だ」
 よく覚えていたな、と思いながら、少し考えた末にシェオルは答えた。
「…事実をそのまま申し上げることはできません。ただ、大聖堂で陛下にお見せしたのと同じように、竜神族の王にも強さを証明した末の結果、としか。本来ならば門外不出の、竜神族とアルゴリザードの関係を陛下にお伝えすることが認められたのは、それを負ったがゆえのことなので…一概に、厄介なだけ、ともいえないのですが」
 それでお許しを、と言葉が締めくくられる。
「…さようか」
 深く問い詰めても、答えることはないだろう。だが、その昏い声に、その『結果』もまたシェオルには予定外のことだったのかもしれない、とクラビウスは感じた。




 城に戻り、重臣たちにも披露したあと、石は王家お抱えの工房へと送られることになった。
 だが、自分で届けて望みの形状を直に説明したい、と言うシェオルに、クラビウスはひとつ要求した。承諾する条件として、王族の正装を着ていくことを。事情が事情なだけに国をあげて公に披露目をすることはできないが、確かにここにエルトリオ王子の息子が生きていることを、示しておく必要があるのだと。
 工房へ向かう道中、城下の者たちはシェオルを見ても騒ぐことはなかった。単に事前に通達がされていただけなのかもしれないが、それでも、罵倒されないのはありがたいと思う。自分が彼らにどう思われているのかはわからないが、歓迎はされていないだろう。本来なら今頃この国には、トロデーンから来た美しい王女が、次期国王の妃としていたはずなのだ。国同士の友好は保たれたとはいえ、王太子の結婚は果たされなかった。その原因となった王兄の遺児の存在が、喜ばしいはずはない。たとえチャゴスが民にとっては評価の低い王子であっても、国の慶事が流れたことには変わりないからだ。
 だが彼らは、シェオルをあからさまに敬遠するようなこともなく、そして見て見ぬふりをすることもなく、皆そっと頭を下げ、道を開けてくれた。そして、ざわめきの中から時おりエルトリオの名が聴こえてくる。
 工房に着くと、彼の姿を見た職人の一人が、息を呑んで目を見開いた。ここで一番の古株らしい。きけば、エルトリオのアルゴンリングを、彼が製作したのだという。
「まさかこのように、エルトリオ王子のご子息にお逢いできようとは」
 石をシェオルから受け取り、デザインを確認しながら、職人が感嘆の声で言った。
「必ずや、殿下のご期待に添うよう、作り上げてご覧にいれます。この命に替えましても」
「よろしくお願いします。ですが、命が危ういと感じたなら、無理はしないでください」
「殿下…?」
「この仕事は大変な技術と魔力を必要とする、とクラビウス陛下からきいています。一人前の職人として認められるまでの道のりも本当に長いのだと。誇りもあるでしょうし、加工途中で投げ出せば謗られるかもしれない。それでも、命と引き換えることはしないでください。できなくてもあなたのせいではない。僕がこの石を持つにふさわしくなかった、それだけですから」
 言えば、彼の老いたその目がみるみるうちに潤んだ。
「殿下は本当に…本当に、エルトリオ王子に生き写しでいらっしゃいますな…。お姿だけでなく、ご気性も…」
「…え?」
「二十年前、王子も殿下と同じように申されて、私を気遣って下さいました。やはり、血は争えぬものでございますなあ……」
 彼は涙をぬぐいながら、長く生きてみるものです、と嬉しそうに言った。
「この老体の、最後の大仕事になりましょう。殿下のためにも、亡きエルトリオ王子のためにも、最高のものを仕上げてみせます。おまかせくだされませ」
 そうして、強い決意を表して、老職人は深く頭を下げた。
 肖像画でしか見たことのなかった父は、今もなお、こうして誰かの心に息づいていた。彼のその人と為りが、民にとって良き施政者といえるものだったからこそ、異端であるはずの自分がこうして受け入れられているのだろう。おそらくは、先ほどの道中での反応も同じ。
 この国と父には、今まで、何の感慨もなかったけれど。ようやく少しだけ、頑なだった心の中の塊が、解けた気がした。
 老職人に「ではよろしくお願いします」と言葉をかけて、シェオルは工房をあとにした。




 それから二月が過ぎた頃、サザンビークからの使者が再び訪れた。今度は、アルゴンリングを携えて。
 その三日後にはミーティアから、自分のほうも用意できた、と嬉しそうな顔で伝えられた。
 本来ならば城の皆の前で、少なくとも父であるトロデ王の前ですべきなのかもしれないとは思ったが、ミーティアのたっての願いで、城内の教会でふたりだけで指輪を交換することになった。
 シェオルはビロード貼りの箱をそっと開ける。そこには、赤い石をいくつも敷き詰めた…というよりも、外側全面が赤い、多面体にカットされた指輪があった。
 もしかしなくても、これは。ミーティアが思っていると、シェオルが頷いた。
「石そのものを、指輪の形にくり抜いたんだ」
「えっ、そんなことが本当にできたの?」
「手に入れたアルゴンハートが大きくて純度が高かったから、試してもらったんだ。そしてその内側に、金で銘を書いてもらったんだよ」
 できなかった時のために別の案も渡しておいたのだが、驚くほどにすんなりと、加工が進んだのだという。そして指輪の内側には、サザンビーク語で、『ミーティアに贈る シェオル』と銘が打たれていた。
「いずれ女王となるあなたの手には、もっときらびやかな形のものが似合うと思ったけれど…でもこれならドレスに引っ掛かる心配はないから、着替えの時でも離さずに身に付けておいてもらえると思って。これは身を守る効果もあるから、できるだけ外さないでいてほしくて」
「シェオル……」
 王女はとても驚いた顔をした。それを見てシェオルは、少し心配になる。
「……考えが、幼かったかな」
 言えば王女は慌てて首を振った。
「いいえ、そんなことはないわ。違うの、そうじゃなくて」
 そこで言葉を切って黙ってしまった彼女に、シェオルはまた心配になった。だがミーティアは何でもなかったようにすぐに笑顔になり、「次はわたしの番ね」と用意していた箱を取り出し、開けた。
「わたしからは、これを」
 それは金色の、一切の装飾が無いシンプルな形状のリングだった。
「王族の、しかも次期女王の夫へ贈る結婚指輪にしては、地味すぎるかもしれないわね。でもあなたにはこういった形状のものがいいと思ったの」
 どうしてかっていうとね、とミーティアは説明を続ける。
「あなたは戦う者だ、ってゼシカが言っていたわ。知ではなく、武をもってこの国を守るんだって。わたしも、その通りだと思うの。あなたは、あなたしかできない方法で、わたしと、この国を守ってくれている」
「……ミーティア」
「だから、平和の中でも戦い続けるあなたには、剣を握るその指には、豪奢な指輪は要らない。そうでしょう? だからこうしたの」
 近衛隊長としての職務中には外す、ということも考えたのだが、やはり常に身に付けていてもらいたかったのだとミーティアは言う。
「どんな時も外さないで、って、同じことを考えていたのがうれしくて。見た目は豪奢ではないけれど、決して邪魔にならない、っていうところも、ね」
 先ほど驚いた顔をしたのはそういうことだったらしい。
「…うん。そうだね」
 ふたりは顔を見合わせて微笑んだ。
「でもね、形はシンプルだけど、結構すごいのよ? この指輪はね、オリハルコンで核の部分を作って、その上に、金塊を溶かしたものでコーティングを施してあるの。あとは指輪の形になるように、他の材料もいくつか。そして世界樹のしずくに一か月の間、浸したの。わたしはその間ずっと、毎日、教会でそれに祈りを捧げ続けたわ」
 そういえば、と思い出す。ミーティアはこのひと月、毎日、一定の時刻になると姿を消していたことを。侍女に訊ねても何故か、内緒です、の一点張り。行先は教会だったのか。
「それでね、ここからがすごいのよ。この指輪は、賢者の石ほどではないけれど、はめていれば回復の効果が得られるの。どう? 私の錬金術も、捨てたものではないでしょ?」
 今度はシェオルが驚く番だった。
「…これ、ミーティアが、自分で?」
「そうよ。といっても、ほとんどは錬金釜のおかげなのだけれど」
 言ってミーティアは、いたずらがばれたときのような顔をして笑った。
「錬金釜の力は知っていたけれど、別のものを作り出すためのレシピは、お父様が知っていらしたものやあなたたちが新しく見出したものの他にもたくさんあるって、城に戻ってから知ったの。禁書の書庫に、何冊かの本があったわ。その本からヒントをもらって、自分が望むものが作れないか、ずっと試行錯誤してたの。そうしてできたのが、この指輪よ」
 ちゃんと形になるまでひと月かかってしまったけれど、とミーティアは言う。
「それでも、すごいよ」
 シェオルは素直に感嘆する。工房に発注して作らせたのではなく、ミーティアが自分で作ったのだということに。古い文献から新しいものを生み出す、それは紛うことなき彼女の才能のひとつだ。
「あなたの半分は竜神だから…もしかしたら、こんな効果は必要ないのかもしれないけれど、でも万が一、あなたが傷を負ったときには、少しでも早くそれが癒えますようにって、思ったの」
 その言葉に、シェオルは心があたたかくなるのを感じる。
「ありがとう…ミーティア」
「気に入ってくれた?」
 笑った顔がとても愛おしくて、シェオルも笑う。
「ええ、とても」
「よかった」
「この指輪自体の金銭的な価値も大変なものだろうけど…でも、ミーティアが僕を思って祈りを捧げてくれたことに、一番の価値がある。僕はそれが、一番うれしいんだ」
「…シェオル」
「あなたが僕の心に注いでくれたものは、いつだって、僕をあたたかくしてくれていた。あなたが僕を思ってしてくれたことは、そのどれも、僕を助けてくれていた。どれが一番、なんて順位はつけられないけれど、でもこれが一番うれしいよ。ありがとう、ミーティア。ずっと大事にする」
「そうね。わたしも、誰にも憚らずに堂々とあなたに愛を告げられることが、一番うれしいわ。今までは、ゆるされなかったもの」
 別の結婚相手が決まっていたときは、自分の気持ちを誰かに知られることさえ、許されなかった。それから比べたら、今はなんと幸せなのだろう。
 シェオルが箱から指輪を取り出し、言った。
「ミーティア、手を」
「ええ」
 そして差し出された左手の薬指に、指輪をはめる。
『この命の有る限り、愛を、あなたに』
 サザンビーク語でシェオルは言い、そして、指と指輪に口づけた。
 今度はミーティアがシェオルに指輪をはめ、誓いの言葉を口にする。
「この命が果てても、永遠の愛を、あなたに」
 同じように指と指輪に口づけると、シェオルがミーティアの両手をとった。そして引き寄せて、抱きしめる。
 腕の中で、ミーティアが言った。
「ねえシェオル、わたしね」
「なに?」
「あの結婚式の前夜のことを、後悔したことはないけれど」
「……うん」
「でも時々、本当にあなたと気持ちが通じ合ってからあなたのものになれたらよかったのに、って思うことがあるの」
「…ミーティア」
「こんなことを思うなんて、贅沢よね。あの夜は…明日にはしたくもない結婚をしなくてはならなくてとても悲壮な気持ちだったのに…いざ欲しかった幸せを手に入れたら、こうだったらもっと幸せだったかもしれないのにって思ってしまうの」
「…そうだね。でも」
 シェオルは腕を解いて、ミーティアの顔を見つめる。
「僕も、あの夜のことは後悔していないよ。それに、あのときあなたが自分の覚悟を見せてくれたからこそ、僕はクラビウス王の元まで話をしに行けたんだ。だから、この今がある」
「…シェオル」
「そして、あなたが待ってくれていたからこそ、僕はちゃんと自分で心を決められた」
 ミーティアが目を見開く。彼の言っていることは、つまり。
「シェオル、それって」
「待たせて、本当にごめん。ミーティア」
「………っ、」
「今日…その、あなたが、嫌でなければ」
 言ってシェオルは少し赤い顔でミーティアから目線をそらした。彼女はそれですべてを悟った。やっと、自分たちは、一歩を踏み出せる。
 自分から抱きついて、ミーティアは「もちろん」と小さくつぶやいた。その声は、少し震えていた。
 シェオルは彼女の華奢な背中を抱き返し、そのぬくもりを、心と身体で確かめる。
 しばらくそうしていたあと、ふたりは身体を離し、また笑い合った。
「とりあえず、お父さまと、そして他の皆に、見せにいきましょう?」
 言ってミーティアは左手の甲を掲げる。
「うん、そうだね」
 頷き、シェオルは右手を差し出した。それに自分の左手を乗せ、王女は優美に笑った。
 そうして手を取り合って、ふたりは扉を開け、教会をあとにした。







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