''【千年の孤独】''

【千年の孤独】 



 どれくらいの時間をこうして過ごしてきたのか、分からなくなるときがある。
 彼女を失ってからの月日はすでに、共に過ごした時間よりもずっと、長くなってしまった。それでもまだ生きるのをやめられないことが、終わらない悪夢のようにこの心を苛む。
 
 
「…下。陛下。お起きになって下さい、お風邪を召されます」
 落ちていた意識に、気遣う声がかかった。執務机に伏せて、いつのまにか眠っていたらしい。
「……、」
 王はゆっくりと顔を上げ、声の主に目を向けた。
「お疲れのようですね、陛下。少し横になられますか?」
「…いや、大丈夫だ」
「では、少しでも休憩なさってください。お茶を用意させましょう」
「ああ。ありがとう」
 控えていた次官に茶を頼み、背の高いその男は主君に食事用のテーブルを用意する。
 物腰のやわらかなその青年は、現国王とその後継者におぼえめでたき文官で、名をエドアルドという。
「このところお忙しい日々が続きましたからね。疲れがたまっておられるのではないのですか? どうか、無理はなさらないでください」
 御璽を押された書類をまとめながら、エドアルドはそう提案する。
「この先の作業は少し、他の者におまかせになっては?」
「君の気遣いはありがたいが、そうも言っていられないのだよ」
「ですが…」
「来たるべき日のために、やれることはやれるうちに、ね。ひとつでも多く、途を敷いておかないと」
「…シェオル陛下?」
 言われたことの意味を正確に把握できず、彼は王の名を遠慮がちに呼んだ。
 確かに、王でなければできない採決もあるが、この書類の山の中には、今すぐでなくともいい件も多い。間に合うものを急いで王が倒れでもしたら、それこそ大事だ。だが、どうしてそんなふうにことを急ぐのか、一介の文官である自分が尋ねるのは憚られた。
「エド、君は城に来てどれくらいになる?」
 唐突に尋ねられ、若者は首をかしげる。
「八歳の頃でしたから…もう十五年になりますか。文官長であった祖父に連れてこられて…もったいなくもウィニア様に気に入っていただいたので、そのふた月後に、官の見習いとして正式にここにあがりました」
「君は幼い頃からとても頭が良かったからね」
「いえ、そのようなことは…」
「謙遜するものではないよ。あの書類の束の中から小さな不正を見つけるなど、経験を積んだ文官でも、なかなかできるものではない」
「あれは、ほんの偶然で…計算が少し得意だった、というだけのことです。それに、見習いといってもまだ子供でしたので、最初のうちは、ほとんど、ウィニア様の遊び相手を務めさせていただいていただけでしたから」
「そうだった。あの子は、君をとても気に入って、君が帰ろうとするといつも泣き出してしまうのだったな」
 王の顔には、やわらかな笑みが浮かんでいる。過ぎし日の、ほほえましい光景が思いだされているのだろう。
 ウィニアとは、王の孫娘の名前だ。次期女王となる彼女は、先月末に十八歳になり、成人の儀を終えたばかりだった。
「君はウィニアをどう思う?」
 訊かれ、そうですね、とエドは考える。
「幼い折は、それはおてんばな姫君でしたが…近頃は本当にご立派になられました。文にも武にも、秀でておられて。陛下をよくお助けになっておられると思いますよ」
「うん。王位継承者としてはね。他には?」
「と、申されますと?」
「君の個人的な感情としてはどう?」
 少し意地悪な質問だ。王を目の前にしては、よくも悪くも答えにくい。
「個人的に、でございますか」
「そう、個人的に。君の主観で、正直に言っていいよ」
 遠慮しないで、と言葉が続いた。
「…とてもお美しく、聡明で、…気のお強いところもあられますが、おやさしく、民思いで、懐の深いかただ、と」
「君の上げるのは良いところばかりだな。あの子に、欠点は見当たらないかい?」
「…私の主観でよいと、陛下が仰せになりましたので」
「そうか。君があの子に思うのは、それだけかい?」
「……、」
 若者の心を知っているかのように、王は楽しげに返答を待った。彼は覚悟を決める。
「…申し上げることをお許し頂けるのでしたら」
「うん」
「…私は、ウィニア様を、お慕い申し上げております」
 おそるおそる言えば、何事もないように、王は微笑む。
「臣が主を慕うのは良いことだね。王に人望があっても、一個人同志として合う合わない、というのもあるから。あの子は臣下に恵まれたようだ」
「…いえ、あの、そういった意味では、なく」
「ならどういう意味で?」
「……恋い慕う、という意味で、です」
「どれくらい?」
 王の空気が変わる。答えを間違えたら首が飛ぶだろう、そんな錯覚を、エドアルドは覚えた。無意識に、こくりと息を呑む。視線を外さずに、若者は、本心のままを答える。
「……この命を、賭けて」
「そう。それをきいて安心した」
 王のまとう空気に、穏やかさが戻った。エドアルドは、ほっと息をつく。
「試すような物言いをして悪かった。君の覚悟を、確かめておきたかったものだから」
「…どういうことでございましょう?」
「エド、私はね。近々、国を出ようと思っている」
 その口調は、散歩に行こうと思っている、とでもいうかのような軽さだった。顔が真剣でなければ、冗談かと疑うほどの。
「陛下、いったい何を仰せに……」
 王の言葉の真意を測りかね、問うように言葉を返す。
 だが。
「君はさ。私のことを、どれくらい知っている?」
 逆に問われる。エドアルドは、頭の中にある現国王の情報を引き出す。この王は、トロデーンの歴代の王の中でも、ひときわ特異な経歴を持つ。
「ええと…父君はサザンビーク王朝のかたで、前国王の伯父君にあたられる、エルトリオ王子。母君は竜神族のかたで、ウィニア様のお名前はこのかたから頂いたときいております」
 王は軽く頷き、続けて、と先を促した。
「不遇にも、幼少のおり、記憶をなくされた状態でトロデーン国領にて倒れておられた。当時の近衛隊長の庇護のもと、城に上がられ、小間使いから一般兵士を経て、近衛隊に入られました」
 王はまた頷く。エドアルドは先を続けた。
「奇しくも、ミーティア陛下のご結婚の折に、その出自が明らかとなり、当時許嫁であられたチャゴス王子の代わりに、陛下とご結婚されたのだ、と聞き及んでおります。トロデーン王家とサザンビーク王家の婚姻は、その数代前からの、国同士の取り決めであったのでしたね」
「そう。ある意味、私は運が良かった」
「…ミーティア陛下とご結婚なされたことが、でしょうか?」
「どちらの国も、後継者はひとりしかいなかったからね。本来なら、ミーティアを他国に出すことを、先代が承服すべきではなかったのだけど」
 王の言う『先代』とは、この場合、ミーティア女王の父王トロデのことだろう、とエドアルドは推測する。
「そこにきて私が、サザンビーク王家の血を引いていると判明したわけだ。私としては、あの王家にこのことを申し出るつもりは生涯なかったのだが…ミーティアが、式の前夜になって、チャゴスとの結婚を渋ってね。らしくないほど、取り乱していた。だから私はその足で、クラビウス王に謁見を賜わりに行ったのだよ。出自を明らかにすれば、王も、話くらいはきいてくれるのではないかと思ってね。式を執り行ったあと、彼女の気持ちが落ち着くまで、少しのあいだでいいからこちらの国に戻してくれるよう、お願い申し上げた」
「それはまた…大胆なことをなさったのですね…」
 エドアルドは驚く。たとえ身内だとわかったところで、そんな申し出が通用するものだろうか。思っていると、王は考えを見抜いてか、理由を言った。
「こちらはこちらで、きちんとした言い分があったのだよ。旅の最中に、ミーティアの心情を考えれば結婚を渋るのも無理からぬ出来事があってね」
「そのような、ことが」
 だとしても無謀は無謀だ。サザンビーク王家にとっては血縁であるとはいえ、一兵卒の身分にすぎない者が、相手国の王に、国と国との威信をかけた結婚について進言したのだ。それだけでも恐ろしいのに、その時刻は式の前夜ときた。どこをとっても、とんでもない事この上ない。
 今でこそ希代の名君と名高いシェオルも、当時は無謀な一面があったようだ。
 そういえば。ふと考える。エドアルドには、ずっと疑問に思っていたことがあった。どちらの王家の系譜を見ても、当時、後継者はひとりずつだった。なぜもっと早くに、この問題が両国の間で取り上げられなかったのか。両国間の約定を守ることばかりに目が行って、どちらかの国の後継者が絶えるということに、気づかなかったというのだろうか。どうにも迂闊すぎる。
 シェオルの出自が明らかになったことで結果的にことは解決しているが、彼が申し出なければ、どうなっていたのだろう。
 国史には、後継者問題の発覚で急遽花婿を差し替えた、としか記されていない。当時のことを知るものはすでに城内にはおらず、まして式に参加した者は、皆、亡くなって久しい。
 だがどう考えても、花婿を差し替えるなどというのは、急遽決まったというには重大すぎる問題だ。そして、国史に記されているのは、『婚約者』ではない。『花婿』だ。つまり、式の直前に差し替えられた、と考えるのが妥当だ。
 考え込むエドアルドに、王がまた言う。
「式の直前どころか、誓いの言葉を交わすときまで何も知らされていなかったチャゴスには、さぞかし痛い仕打ちだっただろうね。他ならぬ父クラビウス王が、王太子であり許嫁である自分を差し置き、式の場で、私をミーティアの婿として認めたのだから」
 王の言に、驚きを通り越して、思考が停止しそうになる。
「…それは、まことでございますか」
「本当だよ。私は、結婚式に乗り込んだのだ」
「……なんと」
「クラビウス王は、私の申し出をはねのけるおつもりであったようだから」
 乗り込むしかないだろう? と王は楽しげに言う。
 それでは、花婿を差し替えたのは結婚式の最中だったということなのか。つまりシェオルは、諫言をしただけでなく、式に乗り込み、あまつさえ、花婿と認められたのだと。
 当時のサザンビーク王は大胆な決断をしたといえよう。英断だったのか、あるいは無謀だったのかは、さておき。
「他には? 何を知っている?」
 再び王が訊ねた。
「…昔、このトロデーンがいばらの呪いにかけられた折、神鳥レティスの力を借りて、復活した暗黒神を打ち倒した四人の英雄のうちのひとりであられる。その功績を認められたために、血筋のことだけではなく、英雄として、ミーティア陛下との婚姻を許されたのだと聞き及んでおります」
「うん、そうだね。国の記録に記された私という個人の定義は、まさにその通り」
 一瞬だけ遠くを見つめ、また視線を若者に戻す。
「だけど私にとって、それはすでに過去の話だ。今の私は、最愛の妻と息子を亡くした、ただの哀れな男だよ」
「陛下、そのような……!」
 その言いざまは、自分を卑下するようではなく、ただ淡々と、事実を確認しているだけ、といったふうだった。
 先々代の女王であったミーティアは、まだ若いうちに亡くなった。当時、王太子である息子アルフレードは未だ幼かったため、その中継ぎとして、シェオルが王位に就いた。
 自分はあくまで女王の伴侶であり、正式な王にはなりえない、というのがシェオル本人の主張だった。玉座は、息子が成人するまでのあいだ、預かるだけなのだと。
 だがそうやって王位を継いだ息子もまた、若くして亡くなっている。
 そういった経緯で、シェオルは二度、王位についている。彼は、トロデーン王家の血を引かずして二度も王位に就いた、特異な経歴の王なのだ。
「エド。今の私は、いくつに見える?」
「……、二十代後半ほど、かと」
 思ったままを答える。それは度を越した世辞でも自分個人の偏見でもない。他の誰が見ても、おそらく同じように答えるだろう。そしてそれは一般的には、成人した孫娘がいるとは思えない若さだ。
「そうだね。私の身体は、何故だか、ある時を境に、年を取ることを止めてしまった」
「それは…母君が竜神族のかただからでございましょうか?」
 ためらいがちに意見を言えば、王は、そのとおり、と頷き、だがそれだけでもない、と付け加えた。意味が捉えきれなかったが、エドアルドはあえて質問せず、王の言葉の先を待つ。
「これは誰かに話しておくべきなのか、迷ったのだが」
 重い話だけど聞く気はある? と王は尋ねた。
「王のご随意に」
 エドアルドは迷うことなく頷いた。おそらく誰も知ることのない真実を、王自ら話してくれようというのだ。逃す理由などない。
 若者に、長い話になるから椅子に座るようにと言って、王は話を始めた。
「どこから話すべきかな。そう、まずはあれからだ。暗黒神。エド、君は、暗黒神の強さと凶悪さがどれほどのものだったか、想像はつくかい?」
「…いえ」
「あれはね、到底、人が挑んで打ち倒せるものではなかった。どれだけの英知も魔力も役に立たず、世界各国が全兵力を総動員しようとも、太刀打ちできるものではなかったのだ。人間では、ね。それをたった四人の人間で立ち向かえというのだから、無謀がすぎるというものだろう。たとえ、神鳥と呼ばれるものの助けを借りられたといっても」
 人の力の及ばぬ悪。それがどれほどのものだったか、説明をされても想像ができない。
「あれの眼前に行ったとき、私は即座に、敗北を悟った。一度は引き返したのだ。そして、戦略を練り直すために、もう一度世界各国を回った。何か方法はないものか、何か力を得られないものかとね。ほとんどが、徒労に終わったが」
 言って王は、くつくつと笑う。大事を語る割に、どこか愉しげだった。
「その中で母の里にたどり着いたのは、本当に偶然だった。神鳥レティスの力を借りられたことで、空を飛ぶことでしか行けない場所にたどり着くことができたからだ。そこは、石碑のそびえる高台でね。刻まれた紋章の向こう側、異世界への路を征った。凶悪な魔物のあまたひしめく、竜神族の里への路だ」
 話がそれた、と言ってまた暗黒神のことを語る。
「完全復活を遂げた暗黒神は、竜神族の精鋭が数人がかりでやっと倒せるだろう、というほどの強大な悪だ。これがどういうことか、わかるかい?」
 謎かけのような問いだ。エドアルドは考えを巡らせる。
「…竜神族の精鋭が数人いれば、倒せる、ということでしょうか?」
 どうにも思いつかず、そう答えた。王は頷いた。
「そのとおり。彼らが来れば、手っ取り早く事は終わる。だが竜神王は、里の者がこちらの世界に来ることを頑なに許さなかった。こちらの世界で彼らが竜型をとれば、世界のパワーバランスが大きく崩れる、世界を救うどころか、崩壊させかねないのだと言ってね」
 人型であれば問題はない。だが、それでは本来の力は出せない。こちらに来る意味がない。だからお前たちだけでやるのだ、と言われたのだ。涼しい顔で。
「そのかわり、道具はいくらでもくれてやる、と言われたけれどね」
 エドアルドはその言葉に、宝物庫の奥に祀られている、いくつかの品を思い出す。
「竜神王の試練に挑み、見事、ほうびの品々を頂いたとおききしております」
「そうだね。あれらは確かに、計り知れない力を秘めたものだよ。だけど暗黒神はね、竜神王の武器や防具をいくつか手に入れたところで、倒せるようなモノでもなかった」
「…それでは、いかがなされた、と?」
「賭けをしたんだ。私が、自分の命で」
 物騒な言葉が紡がれる。どういうことだろう。
「…お命を?」
「そう。自分の命を差し出して、竜神王の、王位継承の儀式を受けた」
 この王に関しては知らないこともまだまだ多いが、その件はまったくの初耳だった。命がけの儀式を受け、今ここにいるということは、王は、その儀式を通過したということなのだろう。
 そして、それが意味するものは。
「それでやっと、あれと戦うだけの力を手に入れることができた」
「…そこまでの力を手にしなければ、暗黒神に打ち勝てる方法は、なかったと?」
「いや。あったよ。もうひとつだけね」
「では、なにゆえ、そちらの方法をお選びになったのですか?」
 王位継承の儀式を通過したということは、龍神の王の次代を担う、ということではないのか。あるいは、単にその権利を手にした、というだけのことなのかもしれないが。
 他に方法があったというのなら、なぜ王は、その儀式を。理由がわからない。トロデーンの王位にだって、仕方なくでなければ就きたがらなかった彼だ。竜神王の位など、欲しがるとは思えなかった。
「自分が自分であることを、失うわけにはいかなかったから」
 王は言った。ますますわけがわからない、という顔をするエドアルドに、最初から説明する。
「私は、幼少時に受けた封印が、未だに効力を発している。これは、それまでの記憶と、竜神族の本性を封じるものだ。解かない限りは、私は竜型をとることができない。だが解けば、今の私の人格は失われ、封印を施される前の本性に戻ってしまう。つまり、力を得る代わりに、自分自身を喪う、ということだ。それは避けたかった、絶対に」
 封印を解けば、竜の姿をとって戦うことはできる。だがそうすれば、記憶はそのまま継続されるが、人格が変わってしまう。いや、封じられる前に戻ってしまうのだ。
 つまりそれは、物事に対する考え方が変わってしまうかもしれないということだった。それまで大事だと思っていた人やものを、大事だと思わなくなる可能性もある。すなわち、悪を倒すことも、世界を救うことも、国を呪いから解くことも、自分にとって意味を成さなくなるという可能性があったということなのだ。それだけは、避けなければならなかった。
「だから私は、その儀式を受けた。竜神の王の、継承者となる儀式をね。力を手に入れるためとはいえ、我ながら、浅ましいことをしたと思うよ」
「…王、そのような」
 ことはない。決して。王は自ら、その命を賭けたのだ。浅ましいはずなどない。
「当代が王になってから、およそ二千年経つのだそうだ。百五十年ほど前、次代を選ぶべく、優れた者が何人もこの儀式を受けたそうだが、通過した者はひとりもいなかったらしい。皆、ことごとく命を落とした。それを、人間との混血児が成し遂げたのだから、里の者はさぞ面白くなかったことだろう」
 王の顔に昏い影が落ちる。このあたりのことは、竜神族にとっても、王にとっても、複雑なしがらみがあるようだ。
「そうやって手に入れた力で、ようやく私は、暗黒神に立ち向かうことができた。無論、仲間たちの存在抜きには、成し得なかったことだけれど」
 暗黒神との彼らの戦いは、壮絶なものだったに違いない。彼らの功績あってこそ、トロデーン城は呪いから解かれ、今、この美しき姿でいられるのだ。
「どのような経緯であれ、陛下がこの城に安寧を取り戻して下さったことは、曲げようのない事実です。王がお命を賭して戦って下さったおかげで今の我らはあるのだと、この国の者は皆、陛下に深い感謝を捧げているはずです。無論、共に戦われた他の三人のかたがたにも」
 言えば、少し王は笑った。
「私自身が、この国を救いたかったのだよ。突き放す物言いかもしれないけれど、私が戦ったのは、決して、不特定多数の民のためなどではなかった。自分の居場所を守るため、この城を元に戻したい、この国を救いたい、それだけのことだったのだよ」
「それでも、です。少なくとも私は、陛下に深く感謝をしております」
「…そう、か」
 ならば良い、と言い、穏やかに笑んだあと、しばらくの沈黙が降りる。そしてまた、王は口を開いた。
「自分の起源を知った時にね、エド」
「…はい」
「私は、人間として在ることを望み、努めてそう生きようとした。その先も、そうやって生きていけるはずだった。あの儀式を、受けさえしなければね」
「…陛下」
「儀式を通過したことによってもたらされたものは、私にとって、良い事ばかりではなかった。ひとつは、この姿が人と同じように変わっていかないことだ。このことがわかったのはずっと後になってからのことだし、知っていたとしても、受けただろうね。どうしても、戦うための力が必要だったから」
 後悔はしていない、と王は言う。
「儀式を終えて、自分の身体に大きな変化があったのはわかっていた。姿形は変わっていなくても、別物に作り替えられたような感覚がしていたからね。だがまさかこのような『副作用』があるとは思ってもいなかった」
 若いままの姿を保っていることは、王にとっては苦痛でしかないようだ。
「だから、後に息子を授かったとき、彼が普通の人間として生きていけるよう、強く祈ったよ。子々孫々、普通の人間としての生をまっとうできるようにと、ずっと、願っていた。強く、強く」
 先代王アルフレードは、幼い頃に何度か見かけただけだ。エドアルドの記憶には薄い。だが、ごく普通の人間だっただろう、と思う。姿形はもちろんのこと、彼を彩る波動も、人におそれを与えるような感じではなかった。逆に、ただの人間ではなかったというのなら、あのような死に方はしていないはずだ。
「祈りのかいがあったのか、息子も、そして孫娘も、普通の人間だ。魔力が並はずれて強いというだけで、人外のものが持つような、おかしな面はない。何も」
 そうだ。先代王も、そしてウィニアも、魔力以外に、普通の人間と違ったところは見当たらない。
「私だけが、人としては異質な時間の流れの中にいる。どういうことか、わかるかい?」
「…いえ、陛下」
「このままだとね、私は、ウィニアが年老いて死んでいくのを、見なければならなくなるのだよ。そしておそらくは、これから生まれるであろうウィニアの子も、そのまた子も」
「…あ、」
「妻と子を亡くした男など、この世界ではとりたてて珍しいものでもないだろう。そういった男たちにとって、それは確かに悲劇かもしれない。だが、一時的なものだ。いずれときが来れば、その悲しみから解放される。私にはそれが許されないのだよ。歳相応に外見も変化して、人並みに年老いて死んでいく、そんなことすら、できないのだから」
 遠くを見つめながら語る王の心境は、年若い文官には計りきれない。だが、そのような現象が自分の身に降りかかるとすれば、きっと、耐えられはしないだろうと思う。
「君がウィニアを心から愛していることは、私にもよくわかっている。だからこそ、彼女だけではなく、君の教育にも、私個人が力を入れたつもりだよ。君ならば、彼女を支え、共にこの国を守っていってくれると、確信している」
「陛下…」
こういうことだったのだ。さきほど、王が自分を試したのは。
「もったいないお言葉でございます……」
 王から向けられる信頼と期待に、若者は深くこうべをたれる。
「君に、本当に覚悟があるのなら、ウィニアを託そう」
「もちろんです。私はこの生を、この国と、ウィニア様に捧げております」
 あらためて姿勢を正し、エドアルドは強く言い切る。
「ならば問題はないよ。彼女の即位式と同時に、結婚式の準備も進めよう」
「はい。…ですが」
「なんだい?」
「本当に…私で、よろしいのでしょうか。ウィニア様のお気持ちは……」
不安げに言えば、王は柔らかく笑った。
「ウィニアの気持ちを無視して君に話を出したわけではないよ。あの子は…そのつもりで君を、ずっとそばにおいてきたのだから」

 テーブルと茶器を片付けながら、エドアルドは王に問うた。
「陛下は、この国を出て、どちらへ行かれるおつもりでしょうか?」
 書類を手に筆を走らせながら、そうだな、と王は考える。
「それこそ、どこにでも。この世界のどこであろうと、私はひとつのところに長くはいられないからね。この姿が変わらずにいることを、訝しまない者はいないだろう」
「陛下……」
「かといって、母の里には戻りたくはない。事情が事情だから歓迎はされるだろうが、私はどうにも、あの場所が嫌いでね。里が、というより、住む者たちが嫌いなのだ。当代の王を含め、ほぼすべての者がね、どうにも、好きにはなれなくて」
 そう話す王は、人の悪い笑みを浮かべている。先ほど自分が推測したとおり、やはり過去に何かあったのだろう。
「いずれ当代が召されれば、嫌でも行かねばならないがね。それが、力を得る代わりにこの身に課せられた、私の責務だから。だがときが来るまでは、好きにさせてもらう」
 ああ、そうだ。エドアルドは思う。この王は、竜神族にも、その存在を求められているのだ。治める者として。本人が、それを望んでいなくとも。
「私は、人でなかったことはないつもりだし、これからも人として在りたいとは思っているのだ。人の世界で、人として生きていたい。望みはただそれだけなのだけれどね。この世界で同じところに長くとどまれば、この異質さを悟られ、疎まれてしまう。ヒトの形をした化物だ、とね」
「……、それならば……っ」
 なおのこと、この国に留まり、力になって欲しい。他のどの国も受け入れなくても、誰に疎まれようとも、このトロデーンの国と民にとっては、必要なのだ。彼の存在は、生き神にも等しいのだから。
 そう言おうとして、エドアルドは言葉を呑み込んだ。わかっているからだ。この類まれなる王の、国を出る意志は、決して変わらないことを。そうしたいと願う、その理由も。だからこそ王は、後継者たる孫娘の教育に心血をそそぎ、国の平定を急いだのだ。臣下に疲れを気取らせてしまうほどに。
 幼い頃に父を亡くし、間もなく母も亡くしたため、次期女王として、ウィニアは誰よりもこの祖父である王を頼りにしてきた。その彼がいなくなるとすれば、どんなに嘆くことだろう。
 だけどそれでも。つらいのはおそらく、ウィニアよりも、この王なのだ。
 国を去ることではなく、自身の時間が異質であることが。人として在りたいとどれほど願っても、人のあいだにはいられないことが。
「おさみしくは、ないのですか」
「ん?」
「お独りで、生きてゆかれることに、寂しさは、おありではないのですか」
 各地を移り住み、たとえひととき人の間で暮らせても、彼は孤独だ。本当の意味では。
「寂しくないわけではないとは思うんだよ。おそらくはね」
 王はどこか他人事のような答えを口にする。
「おそらくは、ですか」
「私は、そう感じることも、絶えて久しい。…ミーティアとアルフレードを亡くしてから、この心は鈍るばかりでね。感じるはずのことが、巧く受け止められないのだ」
 淡々と言う王に、さもあらん、エドアルドは思う。王が、この状況で狂うこともなく持ちこたえているのは、精神の感覚を鈍らせることで、無意識に自己防衛をしているからだ。そしてさらに大きいのが、孫娘ウィニアの存在。彼女が、どれだけ王の心の支えとなっていることか。
 愛しい者の死を、これ以上、見たくはない。目の当たりにすれば、心に刻まれてしまう。いざそのときが来ても、見るのと見ないのでは、心証が大きく違うからだ。
 だからこそ彼は、今、国を離れるのだ。
「陛下には、生きてゆかれる目的は、おありではないのですか」
「目的?」
「はい。ただ人の間で人として生きること、以外に」
 意外な質問だったのか、王は少し首をかしげて考える。
「…そうだね。罪を償わねばならない人なら、いる」
「…え?」
「竜神王の力を受け継いでからすぐに、私はひとつ、罪を犯した。決して許されない罪だ。きっと、憎まれているだろう。だが、償う機会はまだありそうでね。これからは、彼に償うために、生きて行こうと思うよ」
「…陛下、それは、」
「エド、私はここを出て行くけれど」
 どういう意味なのかと問おうとした若者の言葉にかぶせ、王は微笑んで言う。
「私はどこにいても……ウィニアと君がこのトロデーンを治めるのを、見守り続けるよ。そして、この国とその民を、陰から支えていく。この命が尽きる、そのときまで」




 ウィニアが祖父の決意をきいたのは、その晩、彼自身の口からだった。職務の終わった後、祖父の私室に呼び出された彼女は、突然の話に驚くばかりだった。
「半年後に、私はこの国を出る。その直前に、お前の即位式を執り行う」
「えっ? あの、おじいさま、それは一体、どういう、」
「相手がいるなら、結婚式も同時に行おうと思う。年若い新女王が独り身では、色々と面倒なことが起こりやすいからね。ウィニア、相手の候補はいるかい? 私などは、エドアルドはどうかと思うのだが」
 今日の昼食にはエッグベネディクトなどはどうだ、とでも言っているような口ぶりだった。自分が子供の頃からそうだったが、この祖父は結構な大事を、なんでもないことのように口にする。よくいえば冷静、悪く言えば感情が乏しい。
 だがそれは、昔からだったというわけではないらしい。若くして伴侶を、そして息子を亡くしてから、段々とそうなっていってしまったのだと、年を取って引退した家臣がぽつりと漏らしたのを聞いたことがある。
「おじいさま……あまりに突然のことで、私も混乱しているのですが…まずは、何故急にそんなことを言い出されたのか、お伺いしても、よろしいかしら?」
 顔を引きつらせながらも努めて冷静に切り返したが、若い彼女の頭の中はパニックになっている。だが言ったことは必ず実行するこの祖父が意図していることを、今この時点で、明確に聞き取っておかねばならない。
「おまえにとっては突然かもしれないが、私はずっと、このことを考えていたのだよ。それこそ、アルフレード…お前の父が亡くなったあたりから、ずっとね」
 先々代女王ミーティアの即位後、トロデーン国内は常時平和だったわけではなかった。暗黒神の呪いの余波か、しばしば、地方で小さな内乱が起こり、そのたびにシェオルが平定に向かっていた。息子のアルフレードが成人してからは、共に赴いた。
 だが十数年前、集落ひとつを廃墟にするほどの内乱が起きた。そしてそこで、側近の中に裏切りがあり、結果的に、即位したばかりの王アルフレードを喪うという凶事になった。
 自分はトロデーン王ではなくあくまで女王の伴侶だ、という姿勢を終始くずさなかったシェオルは、アルフレード亡きあと、ウィニアが即位するまでの仮王として、再び王位に着いた。以前、ミーティアが崩御した際も、アルフレードに王位を継がせるまで、と仮王となり同じようにやってきたので、国政が滞るようなことはなかった。だが彼が生き急ぐようになったのはこのあたりからだと、彼を知る者は口をそろえて言う。
「いずれ王位を継承するお前が、いつなんどき、どのような問題が生じても速やかに解決できるよう、あらゆる面で教育してきたつもりだ。一番厄介だった西地区の平定も済んだことだし、次世代の有能な家臣たちも育ちつつある。国を治めるために必要なことはすべて教えた。細かい法などは、書に記した。私のできることはすべてやったつもりだ。後はお前自身がやらねばならないことだ。家臣達や、伴侶となる者とよく協力して……」
「でもおじいさま、まだ若造の私より、おじいさまが国を治められたほうが、みなが安心するのではないのですか? 結婚はともかく、即位はまだ早すぎます。どうか考え直されて……」
「ウィニア」
 焦る孫娘の名を、王は静かに呼んだ。
「……っ、はい」
「誰が何を言おうとも、私の考えは変わらない。エドはわかってくれたよ」
「エドが?」
 孫娘は不審な顔をする。
「昼間少し時間が空いたときにね、話をしたのだ。私が何故国を出たいのか、話した。彼は納得してくれたよ」
 この祖父が個人的に、ウィニアの側近であるエドアルドに教育を施してきたことは彼女も知っている。本人の資質と、王自らの教育の甲斐あって、彼は次期女王の右腕として申し分のない、文武両方に長けた有能な若者に育った。自分がそのつもりだったように、祖父もそのつもりでいたため、孫娘の結婚相手として祖父が先に彼に話をしたのは、納得できる。
「では、おじいさまが国をお出になりたいとお思いなのは、私がこの国を治めるのに足るとお考えだから、ということではないのですか? おじいさまの気持ちの問題だということなのですか?」
「そうではないよ。お前は十分やっていける。もちろん、ひとりでは無理だが、それはどの王でもどんな国でも不可能なことで、お前が無能だからというのではない。お前はちゃんと、国を治めるということがどういうことなのか、理解できている上で、その力もある。家臣たちと力を合わせれば、私がいなくてもこの国は治められる」
「ですが……!」
「ウィニア。お前は私の年齢を知っているだろう? 私と同じ年頃の者は、どう見える」
 彼女ははっとした。三年前に勇退した内務大臣の姿が思い浮かぶ。彼は祖父より五才若く、よく祖父を助けたが、若く有能な者に席を譲り、潔くその座を退いた。そうだ、髪にはかなりの白髪が交じり、顔には無数のしわもあった。かくしゃくとはしていたが、杖なしには、長く歩くのは難儀そうだった。
「わかったかな? 私はエドより少し上くらいに見えてはいても、お前の祖父なのだよ。お前が生まれる前から、この姿は変わっていない。そしてこれからも変わらないだろう。少なくとも、お前が年を取って天に召されるまでね」
「……あ、」
 ウィニアには、祖父が何を言わんとしているのかわかった。
「このままここにいれば、私はそれを見なければならなくなる。…昔、ミーティアを送ったときも、アルフレードを送ったときも…自分の人生で、これほどにつらいことはないと思った。お前まで、そんな思いを私にさせるのかい?」
 唐突に悟った。すべてを。
 ウィニアの瞳から、涙があふれた。祖父が国と自分を捨てて行ってしまうことが悲しいのではなかった。これからも続くであろう、祖父の哀しみと絶望を思って、泣いた。
 祖父は腕を伸ばし、孫娘を抱きしめる。
「泣かないでくれウィニア。これは私自身が引き起こしたものだ。あの時、国を、仲間を…失いたくなかった私の身勝手な行動が、この事態を招いた」
「おじい、さま、」
「私のせいなのだ。理を覆してでも彼を失いたくなかった、私の罪だ」
 ウィニアには、祖父が何を思って過去を回帰したのかわからなかった。国。仲間。失いたくなかった。その言葉から考えるに、おそらくは、この国がいばらにおおわれ窮地に陥った時のことを言っているのだろう。彼は三人の仲間と共に暗黒神を倒したが、そうなるまでの道のりは、果てしなく厳しいものだったときいている。
 祖父が年を取らなくなったことに関連する何かが、その戦い、あるいは旅のあいだに起きたのだろう。何ごとかをしたせいで、姿が変わらなくなってしまったのだ。
 そして、理を覆すという言葉。仲間たち、ではなく、彼、という単語。これは意味がわからない。誰を指し、何について言っているのか。だがそれを祖父自身が語らない以上、詳細を訊くことははばかられた。
 孫娘の頭を撫でながら、また王が言った。
「私の最後の我儘だと思って、聞き分けてくれるね?」
「…はい……はい、おじい様……っ」
「良い子だ」
 何事もなければ、いつの日にか、自分のほうが年を取って先に逝かねばならない。そして祖父にそれを見送らせてしまうことになる。だが祖父は、その前にこの国を出て親しい人との死に目に遭わずとも、それでもなお、生きて行かねばならないのだ。
 そして彼は、自分から死を選ぶような人ではない。
 これから先、一体どれだけの時間を、彼はひとりで生きていかねばならないというのか。
 祖父の、生きることへの絶望は。
 一体誰が、癒してくれるのだろう。
 誰でもいい。彼のこの孤独に、誰かが寄り添ってくれるのなら。誰かが、彼のそばにいてくれるように。ウィニアはそう願わずにいられない。
 祖父が、本当の意味で孤独でなくなるのは、決して簡単なことではない。だけどもしそれが叶うなら、誰かがそれを叶えてくれると約束してくれるなら。自分は、大事な支えであった彼が出て行ってしまっても、必ずこの国を守ってみせる。
 だから、誰か。
 だれか。
 …どうか、彼を。




 そうして翌日、ウィニアの王位継承と結婚が発表された。
 若き女王の即位に、当然、難色を示す者もいたが、シェオルは、ウィニアの女王としての器量と、手ずから育てた女王の夫候補がいかに有能であるかを、家臣たちに説いて聞かせる。
 自分たちが若いころから王に仕えてきた世代は、この王がいかに頼りになるかを身に染みて知っているため、もう少しとどまってほしいと願う。だが、私は君たちより年寄なのだよと悲しそうに語る王の、言わんとすることのすべてを悟り、誰もそれ以上の言葉を返せなかった。
 かくしてウィニアの即位と結婚は、全ての重臣の賛成を得て決定し、さらに翌日、トロデーン全土に公布がなされた。
 日取りは占術師に、式の手順等は文官に、警護は武官に、衣装などは女官たちに、といったように、担当が細かく振り分けられ、一日が終わった。
 それからの日々は誰にとっても忙しく、あっという間にときは過ぎて行った。当事者であるウィニアも、政務の間をぬって二つの式の打ち合わせをこなし、時代が変わるのだということを日に日に実感する。同時に、確実に近づく祖父との別れが、少しだけ昏い影を落としている。
「どうしようもないことだって、わかってるんだけどね」
 決裁済みの書類に速読で目を通し、次々と御璽を押しながら、ウィニアはひとりごちる。部屋には今、自分と、補佐であり婚約者でもあるエドアルドのふたりだけだった。ぽつりと漏らした言葉の意味を理解して、青年は何も言わず視線だけを彼女に向ける。
「国の公式な記録に書かれていること以上に、おじいさまは多くのことを体験されてきているわ。私なんかが考えもおよばないくらいのつらいことも、たくさんあったと思う。多くを語ってはくださらないけどね」
「…ウィニア様」
「私は子供のころにお父様もお母様も亡くなったけど、おじい様がいてくださったし、臣下たちは有能な者が多かったし、侍女たちもみんな、やさしかったし…ぬくぬくと、安全な王宮で、大事に育てられてきたのよね。平穏な時代に王位を継がせてもらえるのだから、不平を言うのは贅沢なんだけど」
 ウィニアは、ぎゅ、と服の裾を握りしめる。
「でも、考えずにはいられないの。私が、もう少し…おじいさまのお気持ちを、わかってあげられてたなら、きっと、きっと……、っ、何かが、違って、いたはずなのに……っ」
 ぽたり、と雫が落ちた。視界が揺れる。己の涙で。
 考えたこともなかったのだ。姿の変わらない祖父が、何を思い、何を望んでいたか。こうして口にされ、ようやく、気づくことができた。
 だがわかったところで、どうにもしようがなかった。祖父の生きざまに関して、自分にできることなど何もない。ただ、彼の望んだとおりに、することだけ。
「せめて、おじい様に寄り添ってくださるかたがいればいいのに。誰かとずっと共にいることも、許されない、なんて」
 それをきいたエドアルドは、王に話された内容を思いだした。
「陛下は、許されない罪を犯した、と仰せでした。それを償うべきかたが、いらっしゃるのだと」
 脈絡のない話を持ち出され、ウィニアは顔をしかめる。そういえば先ほど、祖父はそんなことを言っていた気がするが。
「それがどうしたの?」
「…陛下のお口ぶりからすると、そのかたは、おそらく、陛下が暗黒神と戦われた時代に、共に過ごされたことがあるかたです。そしてまだ、この世界に生きておられるのではないかと」
「え……?」
「あくまで、私の推測ですが」
 王は、儀式を受けた後すぐに、といっていた。つまり、ことが起きたのは、暗黒神に挑む前後のことだろう。正確な時期はわからないが、少なくとも、最近でも、ここ数年の話でもないことは、明確だ。
 つまり、彼が戦ったその時代に、共に在った誰か。
 そして、今も生きているはずの…『彼』。
 王はこうも言った。償う機会はまだありそうだと。
 説明され、ウィニアの中で話が符合する。先ほど自分が言われたことは、そういう意味だったのか。
 だが。
「許されない罪を犯して、それを『彼』に償うために生きる、っていうの? そんなことって…」
 まさかとは思うが、祖父が国を出ていく本当の理由は、その『彼』が祖父への復讐心で城に乗り込んでくるのを防ぐため、ということだったりするのだろうか。有り得なくはない、とつぶやくウィニアに、「それはおそらく違う」とエドアルドが言う。シェオルならば、そんなふうに理由をごまかしたりはしない。
「…殿下。私は思うのです。罪をつぐなうために生きる、それは、明るい生きかたではないのかもしれませんが…陛下にとっては、決して、悪い生きかたではないのかもしれない、と」
「どうしてよ」
「この話をして下さったときの陛下が、どこか、嬉しげなお顔であられたので」
「…嬉しそうだったの?」
「もしそのかたと憎み憎まれる関係なのであっても、陛下はそのかたに、償いをなさるおつもりなのでしょう。もしかしたら陛下は、それこそを望んでおられるのではないか。私はそう考えます」
「だけど…それは、悲しい関係だわ」
「そうですね。それでも…平和で平穏、だけど孤独であるよりも、波乱、しかし孤独ではない路…それを心からお望みになるのなら、それもまた、陛下の生き様なのではないかと」
「それはそうかもしれないけど…でもその人は、普通の人間かもしれないでしょう? おじい様が暗黒神と戦われた時代に子供だったとしても、今は相当な年齢のはずだわ。だったらおじい様はすぐにまた孤独になってしまう」
「それでも、それが陛下の望まれた道です」
 言われて、ウィニアは気づく。あの祖父が、こんなふうに強く自分の我を通すことなど、今までにあっただろうかと。王として強硬な手段を執ることもあるが、それはあくまで国を治める者として、王家を預かる者としてだ。
 祖父個人の願望は、どこにもなかったのではないか。王位に在る、そのことすら。ずっと彼は、この国のために、生きてきたのだ。
 ならばもう、解放されるべきだ。
「…そうね。その人が本当にまだ生きていて、おじいさまとまた逢えるのかはわからないけれど、もしかしたら憎まれて終わりになるのかもしれないけれど、たとえわずかな時間でも、おじい様が望むように生きられるのなら」
 それが祖父の、望みであるというのなら。
「ねえ、エド」
「…はい」
「こんなこと思ったら本当に馬鹿で無茶だけど、そのひとが、おじい様と同じだけの時間を生きられたらいいのにね。そうしたら、いつかは、寄り添って生きてもらえるかもしれないもの」
「そうですね…」
 ウィニアの言葉に、エドアルドは頷く。それが、王の真実を知るふたりの、同じ願い、同じ祈りだ。




 とうとう、別れの日が来た。
 見送りは女王ウィニアとその夫エドアルドにのみ許された。今や先代となったシェオルが、今日、国を出ることは、女王夫妻と重臣たちしか知らない。
 覚悟していたこととはいえ、これからは一番頼りにできる人がいなくなるのだという現実は、若き女王に重くのしかかった。
 それでも、一番つらいのは自分ではなくこの祖父なのだ。孫娘に無事王位を渡すために、祖父がどれほどのことを成してきたか、ウィニアにはよくわかっていた。不安だからまだそばにいてほしいと引き留めるのは、一国を治める王として、甘えに他ならない。
 夫がやさしく妻の肩を抱く。その手に自分の手を重ね、ウィニアは唇を引き結ぶ。あふれそうになる涙を、ぐっとこらえた。
 胸に手を当て、祈りを捧げるように軽く頭を下げる。去年、一時期この国が安定を大きく欠いた頃、武装して平定に赴く祖父にかけた言葉を、不敵な笑顔と共に口にする。
「行っていらっしゃいませ、おじいさま。ご武運を」
 あえて別れの言葉を口にしない気丈な孫娘を、祖父は誇りに思った。彼女の顔は、自分がこの国を導いていくのだという意志にあふれていた。
 美しい笑顔だ。ミーティアに、よく似ている。
 この子ならば大丈夫だ。自分がいなくなったあとも、うまくやっていける。きっと。
 ならば自分も別れは言うまい。すべての思いを込め、シェオルは笑顔を返した。
「留守を頼む」
 必ず戻る、といういつもの言葉は、紡がれなかった。戻ることのない出立だ。
 ゆっくりときびすを返し、門から城の外へ続く長い通路を歩きだす。一陣の風が過ぎ、背にまとった黒いマントがひるがえった。
 彼は一度も振り返らなかった。
 その姿が見えなくなるまで、ウィニアは、夫と共にずっと見つめていた。






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